エンジンオイルの洩れる理由

今回は、少し技術的な話をしましょう。
自分は、この世界に入ったのが大学一年生の秋でしたが、その頃は若気の至りで頭でっかちでした。 もちろん、その会社(学生時代、手伝いに行っていた)は、その当時、日本国内でもトップレベルのレーシングカーコンストラクターズ(生産メーカー)でした。 

1973年6月のル・マン24Hレースに日本人として、又、日本製レースカーとして初めて参加したMC73という車両です。 エンジンは、ロータリーの10Aです。 この車両を製作のお手伝いをする事が出来たことは、その後の自分の人生を大きく変えました。
当時は、GC73という国内グラチャンマシンも同時に製作され、プライベートチームに数台販売されました。 その当時、日本人としては今の佐藤琢磨選手以上に人気のあった生沢徹さんのドライブでした。
自分の人生を決めたもう1人の方ですが、つい最近、東京オートサロンショーで偶然お会いできました。
あるメーカーのコーディネイトをされていましたが、話をしている間その当時が思い出され、とても緊張している自分が分かりました。
アルミモノコックシャーシーは、17Sや52Sの超ジュラルミン板をシャーリングで裁断して、Rに曲げたり、直角に折ったりして特殊な接着剤とリベットにて組み立てました。
サスペンションは、クロモリ銅パイプをカットして、ロー付やTIG溶接で製作し、ナックルはアルミの削り出しでした。
ブレーキは、APロッキード製(4ポットです)。 ローターは、ベンチレーティッド(30年も前の昭和48年です。 国内では、まだソリッドのディスクローターが出たばかりの頃です)。 ホイールは、神戸製鋼製の鋳造マグネシウム製、センターロックキングシステムも初めて見ました。
エンジンは、ハートBDAと言ってイギリス製の総アルミの4気筒、2Lエンジン、燃料噴射はルーカース製のインジェクションシステム。 ミッションは、ヒューランド製5速。 クラッチは、ボーク&へッグのツインプレート。
今では、当り前のパーツですが、その当時は自分としてはレーシングカー雑誌の中でしか見たことも無いような宝物ばかりでした。
オイルクーラー、そして、それを繋ぐホースはエアロクイップ製の青と赤のフィッティングで結ばれていました。 その当時、アールスは二級品と言うことで使われませんでした。
そして外装は、もちろんFRP製ですが、ここではデザインが決定すると木型屋に図面を持込み、1/1(実物大)のクレイモデルが出来上がり、所々修正してその型からファイバーを張り込んでメス型を作ります。 この時、割と言ってボディーの分割ラインを決めます。
そして、メス型にゲルコートを塗り、ファイバーグラスを張っていき製品を作ります。
そして、出来た製品の表面などを綺麗に仕上げる為、パテ修正するのですが、真冬に水研を延々とやらされましたが、手の指紋は無くなるし、寒いし…、今思えば、車両作りを短期間に覚え、大体のレーシングカーのイメージが分かり始めた頃でした。
アルゴン溶接もアルミ、ステン、チタン、マグと何でも覚え、スチールパイプやステンレスパイプに砂を積め、ガスバーナーで炙って曲げる、焼曲げも覚えました。 

78年当時のポルシェ924に、後付でターボを装着した車両です。 大阪のレッドライン(今は廃業されてますが)というポルシェディーラーの社長様より依頼され、合計8台製作、販売されました。 コンプリートチューニングカーの走りです。
この車両は、Kジェトロといって、フュ−エルインジェクションシステムでしたが、当時は何も資料無く、手探りで燃料増量を模索したものです。 もちろんローコンプヘットガスケット、手曲げエクゾーストマニ、マフラー。 インテークパイプ類、ターボは、KKK製のK26でした。
この後、鈴鹿で開催されたスーパーカーレースに出場。 ストレートでは、当時の930を豪快に抜き去ったのを覚えています。
もちろん、でっちでしたし、先輩方が手取り足取り教えてくれるわけありませんので見て覚えました。
1日24時間、飯を食っている以外は、仕事していました。
アパートに帰るのも時間が惜しいので、車の中や工場で寝泊りしていました。
レースが近づくと、3日ぐらい徹夜です。 もちろん、サーキットに行けば、又、徹夜。 作業しながら立ったまま眠ります。 若さでした。
そして、キングオブエンジニアと言われるエンジンのチューニングをやらされたのは、ずっと後からです。 もちろん、これも見よう見真似です。
当時は、トヨタではK型、T型、M型、R型と4種類で、ニッサンのA型、L型。三菱のG型、そして、その当時は夢にまで出てくるA12、13のロータリーと、NAのチューニングをベースに、ターボ仕様にする為、ピストン加工、燃料室の加工、油圧量増大、メタルの強化とやりたい事は山ほどありました。
当時のエンジンは、ターボエンジンなど存在していませんでしたので、本屋で資料を与える等、皆無ですし、全て実戦でテスト、そして壊れた部品を目で確認しながら少しずつ対策するというものでした。 その中で、唯一問題から削除出来るのがテストエンジンのオイル洩れでした。
国産のエンジンで量産の車両からオイルが洩れるのは特殊な事情がない限り、あまりありませんでした。
ところが当時もそうですが、ポルシェに限らず英国車、ミニ、ローバー、ジャガー。 イタリア車、フェラーリ、アルファ、マセラティとオイル洩れは必ずありました。
まぁ自分の感覚もあるので、国産車をそんなに賛美するつもりはありませんが、外車はよく洩れるという印象は強かったです。
しかし、このことは海外に出張し、車両の下側を見る機会が多くなるにつれ、向こうではそんなに多くないのです。
ポルシェについて述べると、930時代から964、993とシュツトガルと付近での見る機会で、オイル洩れはありませんでした。 

ポルシェとは別に国産車のターボ化も盛んに開発しました。 左の車両は、当時のサバンナ RX−7(SA22C)です。確か、半年ぐらいかけて開発したウェーバーダウンドラフトΦ48キャブレターを装着した、通称キャブターボKITの試作車です。
1日でアペックスシールを2回壊して、その都度エンジンは脱着し修理してテストしたものです。 ロータリーエンジンは、そのせいか夢にまで出てきました。
これらエンジンは、まだメーカーからターボ車は出ていませんでしたので、メーカーは色々と訪わってこられました。
ル・マンでマツダのレーシングカーがロータリーターボにしなかったのは、やはりこの当時、富士でテストしたのですが、ことごとく破損して断念し、NAでいく事を決めたのです。
又、日本でも964RS,ターボ、993RS等、サーキットをよく走っている車両ほどオイル洩れは少ないのです。
964の中古車で、オイル洩れが無いのは運が良いなんてよく言いますが、これには訳がありました。 日本の道路事情です。
四季、特に40℃を越える猛暑の夏、首都圏の大渋滞、そしてティプトロと言うオートマチック車、これらが重なりますとトロトロ走る夏、カーエアコンを酷使する。 低回転で油圧の低い域で走る。 これらが特に3.2L、3.6Lとなる大排気量の最近のエンジンは油温が150℃にもなり、オイルシール類を硬化させ、低回転の為、油圧が低い状態で長く走行されると、ピストンリング内にカーボンがたまり、ピストンリングの張りは弱くなり、燃焼ガスは容赦なくブロック内に入り、ブローバイガスが多量に発生、ブロック内、ヘッド内のガス圧が上り、全てのシールからオイルが溢れるのです。
これらを防ぐ方法は、いつも回転を上げて走るか、油温をチェックして渋滞を避けるか、そんなところには行かない様にするか、又、市内のトロトロ運転を避けるか…。
いずれにしても、オイル洩れをしている車両の殆んどが、3000rpm以上回してないような状況で、それもエアコン全快状態の車両と言うことが判明しております。
こういう車両は、1万km位の新車時でも発生しており、更にO/Hして納車しても同じような走行状態であれは、2年後でも1万km走後でも起こりうるのです。
その頃には、ファーストユーザーは手放しているようでセカンドユーザーには、そのことは知らされていませんので、又・・・。
サーキットを走ってる車両には、もちろんそのような症状は10万q走行後でも現れてない車両があります。
当初ドイツ本国では、信じられなかったらしいです。 アメリカでも、あまり発生してないのですから…。
これら空冷を購入される方、エンジンオーバーホールは必須と思われ、予算に入れておくことをお薦めします。

平成17年2月6日
鶴 田 昭 臣