エンジンパワーについて パートU
エンジンをターボ等、加吸器を装着してパワーアップすることを前の会社で覚えたのは、昭和51年からでしたが、機械工学科で自動車のエンジンは学科の実習で分解、組付けした4気筒のエンジン以外何も経験のない状態からでした。
当時、その会社でもオイルショックからレースを断念、細々とやっている状況でした。 先輩も少なく、まさに手探りでエンジンにターボを取付けるという作業をやっていました。 当時は、一辺にエンジンのチューニングといってもピストン等の圧縮下げの為ピストン上部を切削、コンロッドの鏡面仕上げ、ポート研磨、そして鉄パイプ、又はステンレスパイプに近くの矢作川で取ってきた川砂を乾燥させ、パイプに詰め込んでガスバーナーで焼曲げしたり、ターボ用のオイルラインのパイプ、フランジ、キャブレターの改造、そしてアルミ板金でエアーチャンバーを作り、アルゴンで溶接。 燃料ポンプをFEI用の物に交換し、ヒューエルレギュレターを改造してキャブレター用に低圧にする為、スプリングのレートの軟らかい物を作ったりと、殆んど手作りでした。 もちろんそれらの為に材料もそれぞれのお店(といっても、今みたいにホームセンター等ありもしなかったので電話帳で調べ、問屋、メーカーの代理店、あるいは直接メーカーに出向いて行きました。)に行って買い集めました。 その時の経験は、その後ブリッツというブランドを作り、その商品たるターボKITの全盛時代に突入しますが、物作りの基礎を休得したおかげだと思います。 写真右のピストンは、鋳造品(チュウゾウヒン)です。ごらんのとうりピストンリングの溝付近が欠け落ちてます。これは、自分達の俗語で棚落ちと呼んでます。 エンジンを改造して高圧縮にしたり、ターボでブースト圧を上げすぎたり長時間(例えばサーキット等)連続高負荷運転をするとピストンリングNO,1(一番上のリング)が2番目リングとの間の棚を叩くというのですが、爆発圧力で一部がその衝撃に耐え切れず割れてしまうのです。丁度ガラスコップや陶器物を床に落として割れるように、、 このような状態で走行してるとパワー感も少し落ち、マフラーから白煙をもうもうと吐くようになります。よくF1でエンジンが壊れた時のように、、。 しかし、この場合ピットインして走行を諦め3時間以上冷えてからまた始動すると白煙は吐かなくなるのです。 それで素人の方は、心配したが何とも無かったんだと安心してしまいます。が、ピストンは棚落ちしちゃってるんですね。残念! このような状態では、簡単なコンプレッションゲージでは、発見しにくいです。 ちなみにこのピストンはトヨタの4AGスーパーチャージャー用です。 次に左の全体が解けたようなピストンですが、これは鍛造品(タンゾウヒン)です。 これは、結果的に燃調不良と高負荷、高回転の連続による破損です。 鍛造である証拠にピストンリングの溝の棚落ちはありませんが、棚落ちしないよう頑張った為、高温に耐えかねて溶けてしまったのです。 このように鍛造製品は、弾力性が強くピストンリングで棚を強く叩かれても耐え続けるのです。鍛造の強さを再認識してください。 ちなみにポルシェのピストンは一部を除いて鍛造品であります。 あ、、、ピストンが棚落ちしたなと、、、。 テスト中断です。 案の定、4気筒の内、1気筒のピストンのピストンリングが組んでいる部分のアルミ棚が割れているのです。 その当時のアルミ鋳造製ピストンは、材料も現在の物に比べ質は悪く、ターボの高圧縮の爆発力に耐えられないのです。 勿論、ポルシェは純正で鍛造製でした。 また、それだけではなく、ヘッドガスケットもブースト圧を少し上げると吹き抜けますし、プラグは純正物では焼けすぎて、ひどい場合は失火してピストンを溶かしますので冷え型のレーシングプラグ交換するのですが、冬期の始動時、又、アイドルを不用意に長くするとカブってしまいエンジン停止となります。 とにかく一つ一つ、対策していきました。 もちろん自動車メーカーは、まだターボ車が市場に出ていない時代でしたので、又、お客様、そしてショップの方々とまずはターボ時代到来の為、全国に布教して行きました。 北は北海道、南は九州・沖縄とショップの社長、若いメカニックの方々に、にわか先生となりターボとは、、、と、毎月どこかで講習会を開きました。 今と違ってカー雑誌も少し情報が載り始めたころです。 遠方では、自走していったターボ車両自体を始めて見たと感激している状態(セリカXX等、、、)でした。 しかし、ブームというのは恐ろしいもので、毎回の雑誌取材、各地でのキャンペーンと昭和50年後半からターボKIT時代の幕開けとなりました。 ターボKITメーカーも数社現れ、自動車メーカーが動き出し、L型ターボの日産、そしてM型ターボのトヨタと続き、それから三菱、マツダ、いすゞと殆んどの自動車メーカーがターボ車を発表していきました。 そうすると今後は、これらのメーカー系ターボ車のファインチューニング用パーツを我々は開発し、発売していきました。 それと共にターボ車でない車両のハイパワーチューニングもレベルが向上し、我々は4AGのMR−2(AW11)でNAエンジンをチューニングし、大容量タービン・インタークーラー等、殆んどレースエンジンと同じ位で、その当時1600ccで360ps発生させました。 昭和60年ごろでしたか、、、。 毎号、カー雑誌では我々の新製品を取材、紹介していきます。 そうすると本の発売日のその日には朝から問合せの電話が沢山かかってきたものでした。 男性の多く(その当時の独身貴族とでもいいましょうか、、、)は、ローンレンジャーか全財産をはたいて、愛車のチューニングをしたものでした。 ちなみに当時のターボKITが、平均50万円位してました。 大学出の初任給が10万円のころです。 命がけでしたのでしょう、、、。 あと次の給料日まで、パンと水であります。 そして、取材を兼ねたテストはというと、茨城県谷田部にある30°バンクをもつ、1周5km弱の高速周図路での最高速チャレンジです。 最初の頃は、300km出すのに皆さん大変でしたが、最近は、事故でテストが出来なくなるまでは、何秒で300kmに到達するとか、時代の流れを感じさせます。 その当時(当時が多いですが、昔話しかできない老人なので、、、。)、タイヤの空気圧を高く上げておくことや、プラグのもっと冷型にすることなどの常識も知らなかった方々は、失敗を繰り返し、あきらめずに幾度となく挑戦され続け、今日の不況にもかかわらず、チューニングの商売で頑張ってこられてます。 皆さん、お好きだったんですね。 谷田部は、他の世界(特にヨーロッパのテストコースでとてつもないスピードを出されてますが)と違って、1.5kmの直線の先は30°バンクになります。 最終コーナーから縦Gを受け、車速が落ちてる車両を直線の800m位を使って加速し、計測時点を通過しますので、最高速は事前のテストで300km以上出たのに(どこかの公道でやるのですが、、、)矢田部は出ないことがよくありました。 又、縦Gの為、タイヤの負担が想像以上で、バンク中でバーストする車両もありました。 恐いですね〜。 まさに皆、命知らずだったのです。 パワー競争は、部品メーカーの車両からショップの車両や、お客様の車両が多くなり、ショップはお客様の車両を借り、変わりにショップオリジナルのパーツを装着してショップ対抗戦となりました。 そうして、やはり皆さん、幾度となく悔しい思いをして、経験をつみ、名のあるショップに成長されていくのでした。 "好きこそ物の上手なれ"という言葉がそのままあてはまります。 但し、自動車メーカーとエンジン開発された方々にとっては誠にもって迷惑千万。 いらないことをすると、まゆをゆがめておられます。 まぁ、当り前の事で、苦労して開発したエンジン、そして最近は限界設計といって当時は150%位の安全マージンをとっていた設計が、今や殆んどマージンがないのです。コスト削減の為、、、。 ピストン、コンロット、クランクと心臓部はちょっとパワーを上げなければどこかに支障をきたすことは多分に考えられるのです。 ポルシェ996ターボ&GT−2もヨーロッパからの意見ですが、600psを越えるパワーを出すとコンロットが破損するぞ!と報告がありました。 これらも部品のコスト高を抑えている要因であります。 往復運動を回転運動に変えているのです。 どこかで無理、ストレスが発生するのは当然ですよね。 その点、モーターは、、、。 平成17年12月01日 鶴 田 昭 臣
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